2009年11月12日木曜日

小金井北南支部合同研修

諏訪湖研修旅行


平成21年11月12日(木)の早朝、雨の予報のなか,バスは、一路信州諏訪湖に向けて出発しました。

今年の武蔵野法人会小金井南北支部合同研修会は紅葉の信濃路を訪ねての旅です。

行程は下記の予定で進められました。

集合7:20(小金井商工会館前)7:30→中央道(車中で遠藤百合子小金井市議より「小金井市議会の事情について」と題してお話をいただきます)→8:20談合坂SA8:40→10:00八ヶ岳PA10:20→11:00諏訪大社見学12:00→12:00昼食(とんかつ20食蕎麦15食選択)13:00→13:00酒蔵見学(御湖鶴)14:30→15:00温泉入浴(片倉館)16:30→中央道→19:30解散(小金井商工会館)



車中で、遠藤百合子小金井市議の市政報告を聞いて、現在の小金井市の状態を実感した後、途中休憩をはさんで、諏訪湖を眺めながら下諏訪で高速道路を出て諏訪大社下社の秋宮に到着しました。


そこで今回の旅行でお世話になることになりました、村越政男小金井北支部長の友人の菱友酒造の近藤会長様に、お宮の案内と商売繁盛祈願の手配をして頂き、参加者全員で祈祷、参拝と写真撮影をしました。


諏訪大社の紹介
諏訪の信仰

諏訪大社は諏訪市の上社本宮、茅野市の前宮、下諏訪町の春宮、秋宮の4社から成り立っている。 歴史は古く、延喜式神明帳(西暦927)にもその名が載っている。 御柱神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で祀られている。 古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。 諏訪湖は一面の葦の原、此所を開拓した神として崇められている。 鎌倉武士たちには戦神としても尊敬を集める。 全国1万社の総本社である。 諏訪大社は、信濃国諏訪の地に鎮座のこと。「古事記」に明らかで、我が国最古の神社の一つであり、古来諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称した。 祭神建御方命は、大国主命の第二子で、兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たられた。 この地の農耕・機織をすすめられた。 昔は狩猟の神・農業の神として神格を有したが、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に外敵を退けられた。 由来国家鎮護の守護神として。 歴代武門・武将の崇敬篤く、鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。 大正五年官幣大社に列せられた。 現在は神社本庁別表神社。

○諏訪大社上社本宮
御神体は守屋山

御神体は守屋山という山であり、その麓に建てられていて豊かな社叢に覆われた境内は荘厳な雰囲気で、一年を通じて参拝客が絶えることがありません。 本殿はなく、幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独特の配置で戦国時代、武田勝頼が造営した社殿は天正10年(1582)織田信長の軍勢によって焼き払われましたが、天正12年(1584)諏訪頼忠が上社を再興、現在の社殿は天保9年(1838)に二代目立川和四郎冨昌が棟梁を務めて建造されました。 片拝殿の彫刻「笹に鶏」「粟穂に鶉」は立川流の最高傑作といわれています。 境内のほぼ真ん中にある東西の宝殿は御柱の年の寅年と申年に交互に建て替えられ、新しい宝殿に祈りを捧げる宝殿遷座祭が行われます。

○諏訪大社上社前宮
諏訪信仰発祥の地

本宮の東約2kmの所にある前宮は、祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りで諏訪に退いたとき、最初に居を定めた地といわれ、古くは前宮があるこの地ですべての祭祀が執り行われていた、いわば諏訪信仰発祥の地です。 上古には大祝(おおほうり)の居館や付属するたくさんの建物が軒を連ねていましたが、近世初頭頃までに大祝が宮田渡に移ると祭典に必要な建物のみになりました。 しかし前宮は古くから上社の祭祀が行われた場所であり、最も重要とされる御頭祭(おんとうさい)は今でも前宮の十間廊で行われています。 現在の建物は、昭和7年に伊勢神宮の用材で建てられた本殿と、内御玉殿、十間廊となっています。

○諏訪大社下社春宮
大隈流建築の傑作、春宮

JR下諏訪駅から北西へ約1キロに位置し、その昔、大祝金刺一族をはじめ多くの武士たちが流鏑馬の腕を競ったといわれる真っ直ぐな通りを約800メートル進むと、静寂な森の中に社殿が建ち並んでいます。 建物の配置は秋宮と同じで本殿はなく、正面に神楽殿、その奥に幣拝殿と片拝殿、さらに奥に宝殿があり、宝殿奥にそびえる杉の木が御神木となっています。 秋宮が立川流であるのに対して春宮は大隈流の建造で、幣拝殿などの細部に施された彫刻などはまったく異質です。 これは江戸時代を代表する2つの流派が同じ図面で競い合って秋宮と春宮を建てたためで、春宮の幣拝殿は大隈流の柴宮長左衛門の手によって安永9年(1780)に完成しました。 大隈流の意地がうかがえる幣拝殿正面の彫刻が見事です。

○諏訪大社下社秋宮
立川流父子が注いだ技の冴え、秋宮

秋宮は、中仙道と甲州街道が交わる交通の要衝に位置しています。 下諏訪町の温泉街に近く境内の手水にも竜の口から温泉(御神湯)が流れ、正面の神楽殿は両脇を青銅製では日本一の大きさといわれる狛犬が守っています。 神楽殿は、上社本宮幣拝殿を手がけた2代目立川和四郎冨昌の手によって天保6年(1835)に完成しました。 その奥の幣拝殿や片拝殿は春宮と同じ造りながら、こちらは立川流の初代立川和四郎冨棟によって安永10年(1781)に建てられました。 彫刻が見事で拝殿内部の「竹に鶴」などは代表作です。 春宮と合わせ、建物の多くは国の重要文化財に指定されています。 幣拝殿の奥には御神木のイチイの木がそびえています。また、毎年2月には遷座祭、8月は遷座祭とお舟祭りが行われます。

諏訪大社の神様

○建御名方命
別名 建御名方神、建御名方冨命など

全国一万社を数える諏訪大社の主祭神であり、大国主命の息子とされる。 諏訪の地に入る時、地主神のモレヤ神と争うミニ国譲りがあったという。 八坂刀売神であり十三の御子神と共に信濃の国の開拓に尽力した事から、神話の戦神的な面と開拓の神としても尊敬が篤い。 全国一万社もの分社もこの二面性が影響し、戦国時代は戦神、安定期は開拓の神としていたのである。 古来より竜神と考えられた為の伝承も多い。 大和高木の尾掛松、お御渡り伝説などである。

御柱祭(おんばしらさい)

信州・諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。 この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です。

諏訪大社は上社と下社に分かれ、諏訪市に上社本宮、茅野市に上社前宮があり、下諏訪町に下社春宮と下社秋宮があります。 祭神として建御名方神と八坂刀売神を祀り、東国第一の軍神として坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康らの崇敬を集めました。 現在では全国に1万社以上の分社があるといわれています。

御柱祭がいつから行われているのか定かではありませんが、室町時代の『諏方大明神画詞』という記録に、平安初期の桓武天皇(781~806)の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」とあるのが最初の記録で、起源はさらに遡るともいわれています。

祭りでは、長さ約17m、直径1m余り、重さ10トンを超える巨木を山から切り出し、人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てます。 柱を山から里へと曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。 諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごとに担当するのです。 秋には諏訪地方の各地区にある神社(小宮)でも御柱祭が行われるため、一年を通して盛り上がります。

来年は、御柱祭に当たりますので今回の研修旅行で、興味をもたれた方は、是非とも見に来て下さい。

諏訪大社下社秋宮での参拝を済ました一行は、楽しみにしていた食事処へと向かいました。

今回は、特徴のある食事場所の為全員が同じ所で食事をすることが出来ず、15人の信州そば組と残りのとんかつ組に分かれての食事になりました。

私は、とんかつ組で、秋宮から5分ほどの所のとんかつ専門丸一で食事をしました。村越北支部長も一緒で、ここのとんかつは大きいよと言われたのですが、食事が出てきてびっくり!

一切れがこんなに大きいのです

皆さん、無言でとんかつと取り組んでいました。

蕎麦組の食事風景がないのですが、話に聞くと、蕎麦も美味しくて、てんぷらも美味しくて、更に食事の後に行く酒蔵の御湖鶴の酒が有ったので先に宴会をしたとの事で蕎麦組も、食事を堪能したようでした。

蕎麦組の行った萩月庵の写真を二点




食事を楽しんだ後で、新鶴という塩羊羹の店でお土産を買いました。

食事の後は、酒蔵探訪です

今回たずねますのは、御湖鶴(みこつる) 菱友醸造㈱です。

大正7年創業。初代創業者がある夜、諏訪湖に飛来し一服の安らぎをとる鶴の華麗さを夢に見て、銘柄に”御湖鶴”と命名しました。

平成15年5月から現社長の下、再スタート。品質を重視し、手造りで地域に根ざしたお酒造りを目指しています社長兼杜氏の近藤昭等氏から酒作りの話を聞きながらお酒の試飲をして、その後社長のこだわりや、男のロマンを聞かせていただきました。









試飲と講義が終わり製造過程の見学です。

今回は、洗米→蒸米→麹菌植え付け→麹育成→酒母 までの工程を見学しました。





各工程での、杜氏のこだわりを聞いて酒造りに賭ける社長の意気込みが感じられた研修でした。

講習が終わり、皆さん競ってお土産を購入されていました。

酒蔵と納豆

酒蔵では納豆は御法度!冬場は絶対に食べてはいけない食品No.1の座に君臨し続けておりますので、酒造りが始まる前に食べておかないと、半年は食べられなくなってしまいます。

例えば酒造りの取材などで酒蔵の中に入って頂くときも、事前に納豆は食べないようにお願いしております。

なぜ納豆はダメなのか。

この納豆をつくる納豆菌が、とっても力強い菌だからなのです。豆を蒸気で蒸すときに、通常の菌は死滅しますが、この納豆菌は高温に耐えます。そして繁殖力も強い。スーパー微生物なのです。

家庭で納豆を作るのは簡単で、豆を蒸して、それに市販の納豆をちょっとまぜて、少し温度が高めのところにおくとできてしまいます。

それ程納豆菌は菌の力が強いのです。

その菌の強さゆえに、酒造りを邪魔してしまう可能性があるので納豆は食べないようにしているのです。

もし朝に納豆を食べて、その菌が残ったまま麹造りをしたら・・・恐ろしい結果になりそうな気がします。

ということで、新酒の仕込み間近の酒蔵見学には、ぜひとも納豆の摂取だけはご控えください。

一日の研修が終わり、諏訪の温泉で汗を流して帰路に着きました。

諏訪の温泉

片倉館(千人風呂)

諏訪を代表する片倉財閥の二代兼太郎社長が北中南米から欧州にかけて視察旅行をして、各国の農村には充実した厚生施設が整っている事に感銘を受け、上諏訪に住民のための温泉、社交、娯楽、文化向上を目的とした片倉館を造りました。

建物は、東京帝国大学の造家学科を卒業した森山松之助の設計で定型的な形式に当てはめ難い個性的なデザインで、二代兼太郎社長が海外で感銘を受けたアイデアをもとに、窓、切妻、レリーフ、ステンドグラス、等各時代、各国の様式が巧みに取り入れられ、しかもアンバランスにならない設計がされています。

中には、千人風呂で有名な深さが1.1m幅4m長さ7.5mの大浴場があります。



あまりにも盛りだくさんの研修で、幹事からは一泊旅行をした様な感じを受けた一日でしたとの挨拶が有りました。

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